今年の抱負
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以前の日記の中で提起した3つの理想のうちの一つである「言葉ではなく行動によって理想を具現する人間」について考察する。これは具体的にはどのような人間なのか。
理想を語って、その理想の実現のために行動しない人間になりたくない。
また、他人に対する要求と自分自身の行動が釣り合っていないという状況もよろしくない。それをするくらいなら、他人に要求しない方がいい。
他人の規範になることを目指し、そのためになすべきことを知っており、実際にそのための行動をするならば、言葉など本来必要ない。
寄付をしろ、買いだめをするな、デマを流すなと言うのではなく、黙って寄付をし、買いだめやデマの流布をしないよう注意を払う。そういう人間になりたい。
ただ問題として、これは3つの理想のうちのひとつ「愛し、愛される人間」と相反する可能性を秘めている。
なぜならば、はじめに言葉ありき、愛はことばによってしか伝えられないものである可能性があるからだ。
行動によって愛を伝えることは不可能なのかといえば、答えはNOだが、それだけではすべてを伝えることができない。人間が愛を成就するためには、どうしても言葉を使わなければならない。
では、この2つの理想を矛盾なく折り合わせるにはどうすればいいか。
「言葉にしたことは、必ず行動に移す」
これ以外あり得ない。
人間は弱い生き物で、これをなかなか実現できない。
しかし、言葉だけになってしまったらその時点で、結局自分自身を信じきることができなくなってしまう。
どうすれば、言葉にしたことを必ず行動に移せる人間になれるだろうか。
それを考えるには、まず「言葉にしたことを行動にできなかったパターン」つまり失敗ケースを考えてみる必要がある。
そこで、「やるといったことをやらない、できるといったことをやらない」という状況はなぜ起こるのか、という点にフォーカスを当ててケーススタディをしてみる。
そうして考えると、2つの失敗パターンが考えられてくる。
「言葉が先走りすぎて失敗する」か「行動が遅すぎて失敗する」かだ。
では、その二つのパターンはそれぞれ何が原因で起こるのか。
俺はこれは人の心の弱い部分が関係していると思う。前者は「見栄」が言葉を先走らせ、後者は「怠惰」が行動を抑制する。
1.見栄
見栄というのは、自分をより良く見せたいという思いが悪い方に転がって、本来の自分よりもずっと大きく自分を見せようとする。自分をよりよく見せようという考え方は間違いではなく、社会生活を円滑に進める上で大切なことではあるのだが、今の自分または自分が本当の自分だと思っている自分とあまりにもかけ離れすぎると、それは負のエネルギーになって自分に返ってくる。
2.怠惰
怠惰というのは、苦痛を嫌い楽をしたいという思いになる。本来、理想的な人間となる道を歩むことは自分が思っている以上に苦痛を伴うものであるにも関わらず、その事実を認めたくないために、無意識のうちに苦痛を回避する行動をとるようになる。そうなると、行動パターンが限定的になり、行動スピードも遅くなるため、何事も実現できないままになってしまう。
これらの心の弱さは、「直れ!」と号令をかけて直るほど軽いものではない。自分自身の心ほど強力な敵はいない。よしんば「直れ!」とはっぱをかけて一時的に理想像に近づいたとしても、すぐに疲れてまた弱い心からくる行動に戻ってしまう。そうなると、失敗経験がさらに自信を失わせるというスパイラルにはまってしまう。
この心の弱さとの戦いには、戦略が要る。やみくもに戦って勝てる相手だったら誰も苦労しない。俺は、ひとまず以下のような戦略を立ててこの心の弱さとの戦いに臨もうと思っている。
【見栄戦の戦略】
見栄は「見せようとしている自分」と「本来の自分」がかい離している状態だ。そう考えれば、戦略の方針としては、「見せようとしている自分を引き下げる」か「本当の自分を引き上げる」かその両方か、の三択になる。「本当の自分を引き上げる」という作業は、怠惰戦の戦略で補完できるので、「見せようとしている自分を引き下げる」方法について考える。
あまり大きく引き下げると卑屈になってしまう。自分をよく見せる努力は必要だ。なので、自分が何を目指しているのか、どういった努力は必要でどういった努力は不要か、という点を明確にリスト化したうえで、それ以外は基本的にやらないしできないという態度・行動を徹底する必要がある。しかもこれは日常生活いついかなる時もそのリストと突合して徹底しなければならない。非常に難易度が高く、今のところ具体的な戦術が思い浮かばない。
・とりあえず、他人からどんなふうに見られたいかという理想をリスト化する
・(以降未定。何かこの戦術には違和感を感じている)
【怠惰戦の戦略】
結局のところ、怠惰の原因となっているのは、心との戦いが巨大な苦痛を伴うというこの一事につきる。なら、やるべきことを細分化することで苦痛もできる限り小分けにすれば良いのではないかと考えた。そこで、以下のような戦術を用いることにした。
・TODOの奴隷になる
・ただのTODOではなく、TODOの消化を勝負形式にして、一定期間の勝敗数を競う。
・対戦期間はあらかじめ決めておき、一定期間で勝敗数の清算が行われるような仕組みを作る。これにより、心との戦いにおける敗北を次の戦いに引き摺らないようにできる。
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ただ目下の問題を解決するだけの20代は終わった。
さて、問題は30代で俺がなすべきなのは何なのかということだ。
自分を悩ませていた両親の問題が解消したことによって、おそらく止まっていた時が少しずつ動き出すものと思う。さて、俺はここから何になりたいのか。
俺は俺が目指す最高に理想的な人物になりたいと思う。では、俺が目指す理想的な人物とは何なのか。
・言葉ではなく行動によって理想を具現する人間でありたい
・過去に反省し、未来に考察する人間でありたい。
・愛し、愛される人間でありたい
多分、根源的に希求しているのはこんなものかと思う。俺は別に、何かを作りたいわけではないのだということに最近気付いてきていて、何かを作りたいという思いは多分、自分を理解してほしいという気持ちの裏返しでしかなかったのだと思う。
上に書いた内容を、ではどうやって具体的に実現していくかという点については、この記事とは別においおい考えていく。
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20代はずっと、両親に対するあまりよろしくない感情との戦いだったと思う。
それは自分の心の中で止まっていた時間をいろんな人の力を借りて動かしていく作業ともいえた。
20代はあと3カ月で終わろうとしているけれど、俺は多分正しく20代と別れを告げられると思う。俺は、ギリギリまでかかったものの、20代で俺がやるべきことにケリはつけられたと思っている。
かつては父を憎んだこともあった。一時的に母を煙たがったこともあった。でも、今はもう、父も母も憎んではいない。誰よりも親しい他人であるという認識で完全な決着がついたと思う。俺は次のステージである30代が楽しみで仕方がない。
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